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ギリシャ神話におけるラバダカス
カドマスの孫で、オイディプスの祖父でもある。
ラブダクス ポリドラスの息子
ラブダコスはポリドラスと ニクテイス つまり、建国の英雄の孫ということになる。 カドマス ポリドロスは後にテーベと呼ばれるようになるカドメアの王であった。 ポリドラス しかし、ラブダコスがまだ若いうちに父親が死去したため、ラブダコスは統治するには若すぎると考えられた。 ラブダコスの母方の祖父であるニクテウスが、幼いラブダコスの摂政を務めることになる。 |
ラブダカス王
この時点で テーベ シシオンのエポペウスが拉致したためである。 アンティオペ この戦争で、ニクテウスとエポペウスはともに負傷する。 ニクテウス そして、ラブダコスとテバンの王位は、ニクテウスの弟リュクスに引き継がれた。
関連項目: 内容やがてラブダコスは成人し、リュクスはテーベの王位をポリュドロス(息子)に譲った。
ラブダコスの王としての時代 | アマゾン広告 |
ラブダコスの統治は、主に2つの出来事によって認められた短いものだった。 まず、テーベとアテネの境界をめぐって意見が対立し、戦争が勃発した。 当時のアテネは、テーベの支配下にあった パンディオン1世 しかし、パンディオンは何とか味方を見つけた。 テレウス そのため、ラブダコスはこの戦争に敗れた。 関連項目: 星座とギリシャ神話 ページ 4ラブダコスの支配で2番目に注目すべき点は、彼の死に様である。 あまり詳しく語られていないが ビブリオテカ というのも、ラブダコスは従兄弟のペンテウスと同様、神でありながら従兄弟でもあるディオニュソス崇拝に反対していたからである。 |
ラブダコスの息子ライオス
ラブダコスは王でありながら息子をもうけた。 ライオス しかし、彼はテーベの王になるには若すぎたため、リュコスが再び摂政となった。 リュコスは再び王国を解放することに消極的であったため、ライオスを亡命させ、自らテーベの王となった。